人は、いつも、キレイになりたいと願っている。
それはもっと幸福になりたい、ということなのでしょうか。
他の人が持っていて自分に足りないことばかりに悲観せず、
自分がすでに持っていることに感謝する。
それは、自分自身をありのままに受け入れ、
自分自身を大切にすることです。
そんなキレイな心を人生の中心に置いたら、
食べる事・ファッション・ビューティー・インテリア、
日常のライフスタイルもキレイにしましょう。
それは、自分もまわりの人々も幸福にさせること。
自分らしく生きることは、他の人々も認められること。
どんどんキレイになって、
素晴らしい人生をエンジョイしましょう。
ビューティー コンサルタント
ヘアー&メイクアップ アーティスト
水島裕作
今ほどヘア&メイクアップアーティストという職業がメジャーではない頃から
業界のトップで活躍をされていた水島裕作氏。
●米国で一番有名な日本人ヘアドレッサーであった須賀勇介氏に師事された水島氏。ヘア&メイクアップアーティストを目指すことになったきっかけや、現在のご活躍までの道のりについてお話を伺いました。
幼少の頃から、父親から「一流になるには、まず一流の人に出会わなければならない」と常々聞かされていましたが、僕は、特にヘア&メイクアップアーティストになるのが夢というわけではありませんでした。
そんな学生時代を過ごしていたある日、たまたま書店にて「須賀勇介のビューティフルへアー」という本と出会いました。その時、直感で「この人は世界の一流の人だ!」そう思いました。引き込まれるように誌面を読むと、職業は美容師だということが分かったんです。それで、「この人の近くに行きたい」と強く思い、それなら自分も美容師にならなくてはということで、初めて美容師を目指すことに決めました。それが、全ての始まりでした。
山野美容学校を卒業後、日本にて須賀先生がディレクターを務められていた「STUDIO V cut shop」にて、運よく働くことができました。素晴らしい環境の中で、多く先輩から技術を指導して頂きました。そして、須賀先生が来日の際には、念願だったアシスタントをさせていただき、一流のアーティストの振る舞いに触れることが出来ました。在籍中は、多くの大切な事を学ばせていただき、僕の一生の財産になっており感謝しています。
そこから、僕のヘア&メイクアップアーティストとしての道がスタートしました。デビュー時には、テレビ番組の大きなお仕事のレギュラー。また、ファッション雑誌、広告、ファッションショーなど、様々な仕事の経験をさせていただきました。本当に僕は幸運で、順調に仕事も進んでいたのですが、30歳を過ぎたとき、「もう1つ次のステージに自分を成長させたい」そう思うようになったんです。それで、全ての仕事を中断して米国へ渡ることに決めました。
ボストン大学にて英語を学んだあと、ニューヨークの「SUGA SALON」にて勤務することができ、その後帰国しました。その時の経験というのは、自分の中ですごく大きなもので、その後、仕事の流れも急に変わったんです。ジバンシー・オートクチュールや劇団四季のミュージカル、等々。また、メイクアップですごく大きな影響を受けたのは、メイクアップアーティスト、チボー・ヴァーブル氏に出会ったことです。ご一緒させていただく中で、パリのエレガンスやソサエティというものを学ばせていただきました。ヘア&メイクアップアーティストという仕事をしていて思うのは、やはり、ただ素晴らしい技術だけではなくて、人間力が最も重要だということです。今まで、本当に多くの出会いがあり、様々な経験を積ませて頂きましたが、それらが一体何に向かっていたのか…。そう考えると、やはりそれは、この仕事を選んだ時の原点、“一流の人間になりたい”という、自分の中の大きな目標に向かっていたのだと改めて感じます。その願いは、これからも変わることはありません。
ビューティー コンサルタント
ヘアー&メイクアップ アーティスト
須賀勇介氏に師事。渡米、「SUGA SALON(New York)」を経て帰国。2013年、「MIZUSHIMA OFFICE」を設立する。活躍の場を日本にとどまらず世界に広げ、彼の技術と人間性は、現在、スーザン・ロックフェラー氏をはじめ、世界の要人・セレブリティーからも支持されている。
URL http://mizushimaoffice.com